ハブルータに出会って10年を振り返る ③
ハブルータに出会って10年を振り返る
今回は、前回(ハブルータのゴールは子育てでなかった 前半はこちら)に引き続き 「ハブルータのゴールは子育てでなかった」の後半を書いていきます。
ハブルータのゴールは子育てではなかった
「子供も親も、幸福な人生を送る」そんな当たり前のことが韓国では多くの家庭で失われています。そもそも‘幸福の定義’を物質的なものにおき、誰かに競争で勝つことに優先順位をおいている限り、本当の意味で人は幸福感を感じることはできません。
ハブルータが導く知的正直さ メタ認知
ハブルータを習い初めてからの私は(当時、3歳の長女にはまだできなかった)高度な質問を、まずは自分自身へ投げかけ始めました。
「私はどんな母親になりたいの? どんな親子関係、どんな夫婦関係を築きたいの?(30年後を想像しながら) どんな家庭を子供たちに残したいの? 結局、私はどんな人生を送りたいの? そんな人生を送るためには何を優先順位に置くべきなの?」
自分自身にはもちろん、機会があるたびにハブルータのペアの方とこんな対話をし続けました。最初からしっくりとくる、腹におちる解答は出てきませんでした。私の中には「こう答えないといけないんじゃないか? こんな答えをしたら私のことを相手はどう思うのか」といった見栄や傲慢な心が隠れていたせいです。
ハブルータを重ねるごとに徐々に自分自身に正直になっていく実感が沸いてきました。‘本当の音’と書く「本音」を口にしていない時には、鏡に映る姿を見ているように自分自身を客観視できるようになっていきました。これがハブルータが導く知的正直さだと思います。(専門用語でメタ認知)
子供の自尊感の高さは母親の自尊感と比例する
10年間、こうやって子供と過ごしてきた結果…我が家の子供たちは自己表現がとても豊かです。幼い頃からしっかりと自分の意見や感情を表し論理的に説明する子たちだと感じます。
‘子供の自尊感の高さは母親の自尊感と比例する’、とよく言われますが、つくづく自尊感が高くて、自分に自信のある子たちだな~と、感心する場面によく遭遇します。
私が子供に「ハブルータをしよう!」という声掛けよりも、もっとやってきたことは私自身がハブルータに夢中になっている姿を見せてきました。子供のためとハブルータを学びだした私でしたが、結局ハブルータを通して自分自身を育てていました。
私が10年間やってきたことは「自己観察、自己対話、自己表現、自己解決、自己成長」だったのかもしれません。
育児13年目の私は、10年前のような焦燥感や不安はなくなりました。3人目を産み育てながら、私の限界を超えたのかもしれません。(苦笑)
親としてできること
小学校高学年以上になった長女長男には度々こんな事を語っています。↓
「人生の‘創造主’はあなた自身。誰かと比べて被害者意識や自己憐憫をもつのは時間の無駄! 親子といえども、いつまでもあなたに干渉できないし、責任も持ってあげることはできない。成人したら、自由になるけど自分で責任を持って生きていきなさい。それまでに必要なことは親として教えていく。でも私たち夫婦も完璧じゃない。これから人生で出会っていくすべての人から素直にたくさんのことを学び、吸収しながら、その中であなたの独特な人生を創造していきなさい」
21世紀に生まれ、21世紀を生きていく我が子に、昭和生まれの私が何を教えることができるのしょうか。平安時代の人々の一生分の情報を、たった1日で習得してしまう現代です。
知識や情報を伝えることは、もはや人工知能にかなわない今、私は親としてできることと、できないことを明確にしておくことが必要だと思っています。
親としてできること、それはハブルータを通して自分を成長させ、磨き続ける姿を見せていくことだと思っています。これは‘ねばならない’でなく、やりたいからやっている、楽しいから続けられるのです。子育てを終え、孫育てにも、さらには老後の脳活にも、ハブルータは私の生涯同伴者になっていくと思います。^^