ハブルータに出会って10年を振り返る ②

ハブルータに出会って10年を振り返る

初回の記事では「ハブルータとの出会い」をお伝えしました。ハブルータに出会って、私は本当にたくさんの学びや経験、感動と喜びを味わってきました。ハブルータとはまさに「一期一会」。10年間何回のハブルータをしてきたのか、毎回メモをしていなかったので頭では覚えていませんが、私の魂には刻まれ、今の私という人間を培ってくれた一細胞になっていると確信します。

ハブルータのゴールは子育てではなかった

今日は「ハブルータのゴールは子育てではなかった」というテーマでお伝えしていこうと思います。

新米ママだった頃の私は、韓国の熾烈な受験戦争の中で子育てをすることに恐怖感がありました。前述した親向けハブルータ講座を受講してから数か月後、さらにハブルータを深く学ぶために指導者コースを受講してみました。(こちらも8週間オフラインでの講座で、一日8時間びっちりと講義を受け、ハブルータ演習をするコースでした)

現役の小中高教員、幼稚園の園長、キリスト教教会の牧師や伝道師、企業内の成人教育講師等、いろんな立場の方が同期受講生でした。主婦は私だけ、しかも外国人。今覚えば、当時クラスで相当浮いていただろうな~と笑ってしまいます。私以外の受講生は自らの仕事にハブルータを生かしていきたいという強い使命感を持って受講していました。

受講動機を聞かれた際に、私はこう答えていました。
「我が子に塾漬けの青少年期を送らせたくない。だけど、‘賢い子’には育ってほしい。お金を掛けずに子育てをしたいからハブルータを学んでみたかった」
主宰者の先生(元々は保険外交員でしたがハブルータ教育の講師へと転向した男性の方でした)は微笑んで、こう答えてくれました。
「塾に行くとか、行かないとか、そういう次元ではなく、ハブルータを育児に活用すれば親も子もきっと幸福な家庭生活になりますよ」
10年経った今、この答えは良い解答だな~と実感できるようになりました。今私が同じことを聞かれてもそう答えると思います。

ハブルータの最終目的地は「子供に何かを与える」ことではない

ハブルータを子育てに生かしたい、そう思って受講する方はたくさんいらっしゃいますし、その動機が間違っている訳ではありません。(私も最初の動機は子供のためでした!) 親としてより良い教育を子供たちに施したい、それがお金を掛けずに、さらに学習効果を高めるとなれば万々歳ですから!^^

けれども、最初の動機は子育てのためだったとしても、ハブルータの最終目的地は「子供に何かを与える」ことではない。ハブルータ歴が6か月ほど経って、そんなことを考えるようになりました。

私自身が質問を抱き 自分自身で答えを見つけていく

私が韓国の育児環境が不安だった理由、それはとてつもなく‘Have’を追求する雰囲気だったからです。
「幼少期のこれをやっておかないと大変なことになる!」
そんな言葉で親たちの不安をあおり、我が子を‘落伍者’にしないことが親の第1の関心事です。幼稚園でこれを習い、小学生になったらこの塾に送り、中学生では既にどの大学に入れるかの学力が決定している…大学に入っても就職のために資格を取り続け、語学留学は当たり前。韓国の子供たちは生まれてからすぐに競馬レースのような塾人生が始まっていくのです。

ハブルータに出会うことで、私は‘韓国人親の当たり前’に違和感を感じるようになりました。
「何かを得なければ、幸福な人生を送れない」‘Have’を追求し続ける人生’でなく「私はどんな人間になり、どんな人たちと生きていきたいのか、結局どんな人生を送りたいか」‘Beの人生’に集中すること。後者の人生を送るために「質問を投げかける」ことが最も大切だと気付くことができました。誰かが決めた質問に答えるのでなく、私自身が質問を抱き、自分自身で答えを見つけていく。これこそが、ハブルータが私に与えてくれた人生の知恵でした。

 

「ハブルータに出会って10年を振り返る ③」はこちら!

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