【募集中】鬼滅の刃deハブルータ研究会からのご案内
鬼滅の刃 第四弾【柱稽古】編 第7話【岩柱 悲鳴嶼行冥】
鬼滅の刃 第四弾【柱稽古】編 第7話【岩柱 悲鳴嶼行冥】が放映されました。
今回は悲鳴嶼行冥の苦しい過去が明かされました。
盲目の僧である行冥は身寄りのない子供たちを貧しい寺で面倒見ていました。
ある日その子供の1人が鬼に遭遇し、自分の代わりに8人の子供と行冥を食べさせるからと命乞いをします。
その子はわざわざ鬼除けの藤の花の香を始末して、鬼をお堂に入れました。
あっという間に4人殺され、行冥の後ろに隠れたはずの4人子もじっとしていられずにお堂から出ようとして殺されてしまいます。
たった一人残ったまだ4歳の女の子サヨだけが行冥の後ろで泣いていました。
この子だけは助けなくてはと行冥は渾身の力で鬼に立ち向かいます。
殴っても、殴っても再生してくる鬼を夜が明けるまで殴り続け、遂に太陽の光で鬼は消滅しました。
駆け付けた人達に生き残ったサヨが話したのは「あの人は化け物!全部あの人が殺した!」
それ以来サヨは話ができなくなってしまいます。
鬼の姿はないので、あの人とは行冥のこととなってしまい、殺人犯となってしまいました。
暗くなっても帰らないで鬼と遭遇してしまい、自分が助かるために仲間を全部犠牲にした子
後ろに隠れていなさいと言ったのに、自分勝手に行動して殺されてしまった3人の子達
守ろうとして必死で戦ったのに、ありがとうの言葉もなくかえって行冥が牢獄に繋がれる発言をしてしまった子
大切に慈しんで育てていた子供達から次々に裏切られ、「子供というのは純粋無垢でか弱く、直ぐ嘘をつき、残酷なことを平気でする。我欲の塊だ!」と定義した行冥ですが、炭治郎だけは違う特別な子だと認識します。
・とっさの時に、自分を守るか人を守るかの選択に迫られた時、決断する判断はどの様にされると思いますか?
・一般的に自分を犠牲にして他を守ることが善なることとされていますが、その善悪基準はどこで決められたものでしょうか?
行冥は炭次郎に言います。
「私は君を認める!普段どんなに善良な人間であっても、土壇場で本性がでる。君は逃げず、目をそらさず、噓をつかず、素直で、ひたむきだった。」
刀鍛冶の里で妹よりも里の人々の命を救ったことを評価したのです。
しかし、炭次郎はその決断をしたのは禰津子だったと主張します。
確かにそうでしたね。
禰津子を見捨てることができなく、動けなくなっている炭次郎を得意の蹴り上げで鬼の討伐へ向かわせた禰津子でした。
「いつだって誰かが助けてくれて、俺は結果間違わずに済んでいるだけです。」
と人の手柄を横取りしない炭治郎の潔さがここでも発揮されています。
・世の中には認められたくてウズウズしている人が多いと思いますが、自分が認められることよりも他の人を認める努力が自分にとっても大切なのは何故でしょうか?
・行冥は炭治郎を特別な子と認識していますが、本当は炭治郎の様な人間が本来の姿ではないでしょうか?間違った環境や教育によって捻じ曲げられている子供たちが多いのではないかと思います。あなたはどう考えられますか?
このように本当に信頼できる子供と出会えたことで、行冥の傷ついた心が癒えていくようでした。
炭次郎の頭を撫でる行冥の手がいつしかサヨを撫でていました。
サヨが可愛くて愛したくてたまらなかった行冥だったのですね。
募集中です!
『鬼滅の刃deハブルータ研究会』は鬼滅の刃の物語をハブルータしながら、人生をより良く生きて行く為の多くのヒントを学び取る勉強会(マンツーマン指導可)を開催しています。
時間は1回1時間、毎月1回のペースで行っています。
参加者のご希望になるべく添えるようにスケジュール調整しています。
参加費
1回3,000円
5回まとめ払い14,000円
12まとめ払い31,000円
となっております。
お問い合わせ
あなたのご参加をお待ちしています。お友達との参加もOKです。
↓お問い合わせ/お申し込みはこちらのメールまで
鬼滅の刃deハブルータ研究会事務局
担当:杉村